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会津若松に泊まった翌日、とりあえず北に向かってバイクで走り出した。とあるバイク雑誌の取材で東北をツーリングしている途中のことだ。別にどこに行かないとならないとかの条件はなかったので、日程内に、行けるところまで北に行くつもりだった。しかし、この日はもう、秋田県横田市のゲストハウス、カモシバの予約が取れていたのでそこに行く予定(このゲストハウスの話はまた今度書く)。距離は250kmしかないので、さほど急がなくても大丈夫だ。
前日泊まったゲストハウス、隠れ家ゲストハウス(この話もまたこんど書く)で前夜、飲みすぎてしまって朝ごはんを食べていなかったので、走り出して1時間ほどの喜多方で、喜多方ラーメンの代表的な存在である「坂内食堂」でラーメンを食べた(この話も、やっぱりまた今度書く)。
会津若松から秋田県の横手に向かうには、国道121号線と13号線を使えばほぼまっすぐに行ける。でも、交通量の多い幹線道路を走っていてもつまらない。なので、途中で米沢飯豊線(県道4号)に入って、田圃の中をゆっくり走ることにした。しばらく走って気がついたのは、この道は既に数年前に走っていた、ということだ。向きが逆、つまり北から南に走っていたので気づかなかったのだが、出てくる地名にことごとく見覚えがあって、思わず苦笑いしてしまった。

とはいえ、同じ道、同じ場所でも季節が違えば、時間が違えば、向きが違えばまた見え方が変わるもの。晩春と初夏の狭間の、美しい緑を眺めながらゆったりと走っていく。遠くに見える山並みも美しい。
とはいえ、取材ということで、なにか名所はないかと検索してみた。Google Mapで現在地を表示させ、適当な表示範囲にしたあとで「名所」とタイプして検索すると、結構、興味が惹かれる場所が出てくることが多い。
そして、このとき僕のスマートフォンに表示されたのが「イザベラ・バードの鐘」だったのだ。なんだそりゃ?
薄曇りの空の下、立ち寄った道の駅のベンチに座って缶コーヒーを飲みながら調べてみると、イザベラ・バードというイギリス出身の女性が1878年(明治11年)に日本を訪れ、6月から9月にかけて東京から北海道まで旅した、ということがわかった。
この鐘は、彼女がこの地域を訪れた記念のモニュメントだったのである。彼女はこの地域の美しさと、人々の礼儀正しさにいたく感銘し「東洋のアルカディア」と著作に書いたそうで、それを伝えるために造られたもの。ちなみにアルカディアとは、古代ギリシャの楽園の代名詞なんだって(これも調べて知った)。
旧長井小学校の内部
しかし、明治11年って言ったら、ほとんど江戸時代だ。明治5年に日本で初めての鉄道(品川~横浜)が開通したものの、東海道線の開通は明治22年だから、移動手段は徒歩か馬だったはず。いやはや、凄い人がいたものだ(追記:移動手段は人力車と駄馬、船が多かった模様)。
で、その鐘は……と言うと、僕は行かなかったのだ(笑)。気がついたら通り過ぎてしまっていて、戻るのもなんだな、と。ともあれ、そんな凄い人がいたことを知られたし、またその凄い人が見たのと同じ景色(いろいろ変わっているとはいえ)を見られたのだから、ま、いいか。
イザベラ・バードが見た日本は、彼女の著作「Unbeaten Tracks in Japan」(日本奥地紀行)に書かれていて、今も和訳がAmazonで購入できるので、ぜひ読んでみたいと思う。内容的には、日本人が読んで嬉しい部分と、人種差別的に感じる部分もあるとのことだが……。
※追記 今彼女の「日本奥地紀行」を読んでいるところ。半分くらい読んだがとても面白い。よく外国人がこれだけ調べたな、というくらい当時の日本とその背景、歴史を詳しく書いている。正直、該当するエリアに住む人には目を覆いたくなるような記述も多いが、同時に誇らしくなるような部分も多い。旅物語として面白いので、ぜひ読んでみてほしい。
というわけで、イザベラ・バードに関する写真はない。ので、そのあとに寄った山形県長井市の旧長井小学校第一校舎などの写真を掲載しておきます。ここもおすすめ!

イザベラ・バードの日本紀行(上)
イザベラ・バードの鐘
旧長井小学校第一校舎
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