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安っぽいペラペラのドアをバタンと閉めると、猛烈な風と周囲に舞う砂は過去のこととなった。よく耳をそばだてると車体を切っていく風の音が聞こえてくるけど、でも、そこはもう「家」だ。移動時にはちょっとフワフワ過ぎて乗り心地の悪いソファに座ってテーブルにヒジをつく。ブラインドの上がった窓の向こうには地平線まで真っ平らなドライレイクが広がっていた。やっぱり、マイ・スイート・モーターホーム、最高! (レンタルだけど)
僕が初めてモーターホームをレンタルしたのは1990年、メキシコで開催されているBAJA1000というレースへの参戦のためだった。このレースでは、自分はライダーではなくアシスタンスとしての参加だったのだが、一緒に行ったユキとカジモトとともに借りたのが、ウイネベーゴのモータホーム……たしか、22ft(約6.7m)の全長をもつ、3ベッドのものだった。

ベッドは運転席上の広々としたバンクベッドがまず1つ。次に、ダイニングのテーブルを組み立てるとベッドになるセミダブルサイズのもの。そして、キッチン、トイレ、シャワールームをすり抜けて歩いた最後部にあるダブルベッド。このときはレースに出るわけではないから、荷物の少ない僕らのクルマは3人には広すぎるほどで、快適な2週間の旅を楽しんだ。もう一生、こんな旅をすることなんてないよな、と思いながら。
それから結局、数えてみると、それから10回以上もモーターホームを使っての旅を経験することになった。1回あたり、短くて7日間程度、長いと3週間近くをモーターホームのなかで過ごしたから、これまでの人生でざっと140日間ほどはモーターホームで眠ったことになる。
その日々のほとんどは、SCORE BAJA1000での日々だ。メキシコ・バハカリフォルニア半島で開催されるBAJA1000に行くとき、僕ら日本人ライダーは普通、アメリカのロサンゼルスから南下してメキシコに入る。もちろん、クルマで移動するのだが、ここに厄介な問題がある。レンタカーでメキシコに入るには、レンタカー会社からメキシコへの入国を許可されている必要があるのだ。
乗用車であれば、これはあまり問題にならない。メキシコ国境と接するサンディエゴならもちろん、ロサンゼルスでもメキシコに入れるクルマを借りることができる。ところが、バイクを運べるクルマーーピックアップやワンボックスーーが必要となると、借りられるレンタカー屋が一気に少なくなるのだ。
そこで、1990年代初頭、BAJAに行くライダーにとって一般的なレンタカーはモーターホームだったのである。借りるレンタカー業者は「エルモンテRVレンツ」。エルモンテでは、メキシコへの入国が可能なモーターホームを貸しており、工夫すればバイクを積み込むこともできた。これは、内田正洋氏の名作である「BAJA1000 – DES ERTRACE FOR JAPANESE RI DERS」(CBSソニーマガジンズ)で紹介されていた方法&お店で、この頃は日本から参戦するライダーの多くが同じ方法をとっていた。おそらく、内田正洋氏のエルモンテへの貢献度はかなりのものだと思う。なにしろ、90年から以降、僕だけでも10回以上借りているのだから。

マネしないでね。
モーターホームを借りた僕らは、まずロサンゼルス郊外に住む友人の家に行き、モーターホームのサイドドアを開けた右側にある2個のキャプテンチェアを取り外す。これでバイクの運送スペースができた。チェアは、友人の家で預かってもらうわけだ。
次に、段ボールとダクトテープ(ガムテープ)を使って、バイクを積み込むときに当たりそうなドアの入り口のサッシ、階段、家具の角などを隠していく。バイクのステップなどが当たってキズがつくとあとで弁償させられるからだ。
あとは、重いXR600Rのフロントホイールをもって階段を持ち上げ、左右にハンドルを逃がしながら車内にバイクを引きずり込む。最後に、バイクをタイダウンで適当なところに引っ張って固定すれば出発OKだ。
もちろん、これはレンタカー屋に許可を取った方法ではない。しかし、僕らの場合はいつもキズをつけないまま、元通りにして返したから問題はなかった。だが、同じ方法をとったライダーのなかには、屋根に積んでいたチェアを道路に落としてさんざんな目に遭った人もいる。ちなみに、今では僕らはこんなムチャな方法はとらず、ヒッチメンバーに取り付けるバイクキャリアを買って、バイクを(当たり前の話だが)外に積んでいる。ヒッチキャリアは、アメリカでは100ドルもしないモノが結構フツーに売っているのだ。
さておき、バイクを積んだら次は買い出し。アメリカのいいところは、全幅2m50cm、全長6.7mもの巨大なクルマでも移動や駐車に困ることはほとんどないところ。スーパーに行き、水や食料、お菓子やアメリカのスーパーならではの面白いアレコレを買い込み、南へゴー!

モーターホームの基礎知識
僕らが最も多く借りるモーターホームは、23ftから28ftくらいのサイズのClass C キャブオーバータイプ。フォード・エコノラインなどのバンをベースとしたものだ。内部には、バンクベッド、ダイニングベッド、そして後部にダブルベッドかツインベッド。リビングにはオーブンと電子レンジを備えたキッチン、冷蔵庫、トイレ、シャワー室。最後部の寝室にはクローゼットも備えられている。もちろん、発電機やガスタンクも備えているし、天井にはルーフエアコンもついているから、停車時も快適な時間が過ごせる。寒いときにはガスヒーターが活躍する。
つまり、ほとんどの日本の家庭と同じ……というか、それ以上の機能がこのサイズに収められているのだ。さらに、車体の内外に多くのモノ入れがあるから、旅の荷物もラクラク収納できてしまう。
また、最後部の寝室がバイク置き場とされ、車体最後部に電動リフトが装着された「ファンムーバー」というモデルもある。ベッドが2つになってしまうため室内は狭くなってしまうがバイクなら3、4台は積めて便利だ。
より快適な時間を過ごしたい人には、車体中央のリビング部分が横にせり出す「スライドアウト」タイプもある。価格はちょっと高くなるが、もともと2m50cmくらいあるリビングの幅がさらに1m近く大きくなって、まさに広大!と言える広さになってじつに快適だ。
でも、こんな豪華なモーターホームを借りるにはすっごくお金がかかるんだろう……と誰でも思うはず。確かに、普通のレンタカーに比べれば高いのだが、レンタルフィーは10日間で20万円程度。つまり、1日2万円程度なのだ。4人で行くなら、1人あたり1日5000円で移動できてゆったり寝られるわけで、コスパフォーマンスは悪くない。
ただ、注意したいのがマイレッジ(走行距離超過)と各種の保険だ。じつは、車両のレンタルフィーそのものは1日1万円程度からあるのだが、最初から予定の走行距離を買っておかないと、あとから高額なオーバーマイレッジチャージを請求されてしまうのだ。バハカリフォルニア半島を10日間かけて縦断するのに必要な各種の保険をかけ、マイルを買うと、25フィートでだいたい20万円くらいになる。
僕らは1992年、これをよく理解せずに走りまくった結果、15万円くらいだと思っていたレンタルフィーが精算時に30万円にもなっていて真っ青になったことがある。
また、当然のことだけど、馴れない国で馴れないクルマを運転するわけだから、保険はしっかりかけておくべき。バンクベッド部分から壁に刺さって穴が空いてしまったり、窓が割れたり程度ならいいけど、なかには横転してしまった例などもある。モーターホームの値段は500万円〜1000万円程度にはなるので、保険をかけていなかったら、真っ青どころじゃ済まない。

だから大好き
なんて散々おどかしといて何言いたいの? てな感じ(笑)だけど、でも、保険をしっかりかけて楽しむならこれ以上優雅な旅はないのだ。なにしろ、モーターホームの中はその名の通り家のように快適だ。日本では見られないような広大な風景の中で、リビングのソファに座って飲むコーヒーやビールはまさに最高! のひとこと。時に、仲間と喋って盛り上がりながら、退屈になったらトランプしたりとかしながらね。眠くなったら、ハシゴを登ってバンクベッドに横になれば、足を伸ばしてぐっすりと眠ることもできる。
アメリカで買った、見慣れないパッケージの冷凍食品やソーセージ、卵などで作る食事も美味しい。キッチンのガスコンロなんて4つもあるし、冷蔵庫だって4人が1週間暮らせるぐらいの量を呑み込む巨大なモノが装備されているから、食通だって満足できる食事を作ることが出来るのだ。
車内にいるのが飽きたら、クルマの外に出て散策するのもいいし、海で泳いでもいい。そんなに時間がないときは、車体後部に付いているハシゴで屋根に上って、まわりの風景を楽しむのもいい。
日本では考えられないような、非日常的なクルマで、非日常的な時間と空間を楽しむ旅は、人生で最高の想い出を作り出してくれるのだ。テントとシュラフだけのシンプルな旅もいいけど、人生に一度はこんな経験をしてもいいと思う。できれば、家族や、仲間とね。最初はちょっと仲がいい程度だった知人とも、モーターホームで数日過ごせば素晴らしい「仲間」の関係になっていく。美しい風景と感動を共有し、同じ机で食事をして、星を眺めながら一杯やるなんて……まさに最高。こんな最高の日々が規則正しく続く。そして、夜ごと繰り返されるバカ話。これが楽しくないわけがない。
光り輝く瞬間
2004年1月。全行程10日間と、ちょっと急ぎ足でバハカリフォルニア半島縦断取材を終えた僕たちは、バハカリフォルニア半島最南端の街、カボ・サン・ルーカスから北へと戻る帰途に着いた。ほんの少しでも、この素晴らしい時間が続くようにとゆっくりとモーターホームを走らせる。
結局、途中でバイクを下ろして、僕とワタナベはイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」の舞台となった街、トドス・サントスの周辺を走ることにした。午後いっぱい、砂と海を堪能して、陽が暮れるころに国道に辿り着いたら、そこにモーターホームが待ってくれていた。さすがに、もう帰らねばならない。
十分堪能した、という思いと、まだまだ走りたい、という思い。もう少しだけ、この地を離れずにいたい、という気持ちを胸に抱きながら、バイクを積み込んでいると、僕らの周囲の空気がオレンジ色に変わっていくのに気づいた。ふと顔を上げ、夕暮れの空を見た。

それからの1時間は、人生で最高と言えるショーだった。黒くシルエットになったサボテンの向こうの雲が、ピンクからオレンジへ、そして紫へと次々に色を変えていく。時々、雲の切れ間に太陽の残照が映ると、雲のエッジが黄金色に輝く。今思い出しても胸が痛くなるくらい美しい、それはバハカリフォルニア半島が僕たちにくれた最高の贈り物だった。
僕とワタナベ、ユキ、スミモトはモーターホームのハシゴを屋根に上がった。屋根の上から見る大地は、まさにサボテンの海だった。南北に貫く国道1号線の左右に広がるサボテンの海。それが、夕日を受けて徐々に緑色から金色へと変わっていく。写真ではそう見えないかもしれないけど、まさにその色はゴールドそのもの。光り輝いていた。
輝きが力を失い、周囲が深い群青の闇に変わっていくまで、僕らは笑顔で屋根の上にいた。その僕らを包むように、風がわたっていく。
「行くか」。僕らはハシゴを下りて、車内に入り、モーターホームの安っぽく軽いドアをバタンと閉めた。静かな車内の中の空気は、夕焼けの前よりも、ずっと温かく柔らかいものに変化しているように、その時の僕には思えた。

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