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霧の向こうの島へ。


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緑、青、白の世界

 峠を越えたら、晴れ間が見えてきた。僕らは、砂利がところどころに敷かれた幅の広いダートを走っている。道は鉄道の線路と踊るように、時に線路の向こうへと繋がり、また線路のこちら側に戻る。アップダウンとカーブがいくつも続く道を夢中になって走っていたら、海が見えた。気づいたら、空はもう、すっかり晴れていた。

西海岸沿いの道

 島の東側は、まさにこれぞロシア! といった感じの陰鬱な風景だった。オホーツク海ならではの濃い海霧に包まれた道は、どこも寂しく、暗くしか見えなかった。ウズモーリエという街の道ばたに立ち並ぶ屋台でコーヒーとピロシキを買ったのだが、ズラリと並ぶ中年から初老の女性たちには、愛想のかけらもなかった。険悪ってほどじゃあないが、外国人が来たからといってとくに熱心に売り込むわけでもない。ただひたすら買え買えと迫ってくるだけだ。

 露店の背後には駅があった。どんよりとした灰色の空の下に、くすんだブルーの貨車がレールの上でゆっくりと動いている。重い色の空の下、無機質な鉄の塊がゆっくりと動いている様は、想像していたロシアそのものの印象だった。

 だが、たった22kmほどしかないこの島の最も幅の狭いエリアを西に走ったら、まったく別の景色が僕らを待っていた。僕らの左右に広がるのは、美しい緑色の絨毯を広げたような草原だ。そこを、薄茶色の土の道がまっすぐに伸びている。道は下りながら別の道にぶつかり、T字路となっていた。T字路の先は、海だ。

 海は、緑色と青色を混ぜたようなちょっと深い碧色だ。海沿いは崖になっている。GSを道ばたにとめ、歩いて崖の上まで行く。恐る恐る下を覗き込むと、真っ白な波が砂浜に打ち寄せていた。砂浜の消える先には、わずかな建物が並ぶ集落があるのが見えた。

 時々、大型のダンプカーが土埃をもうもうと上げて走っていくが、海沿いのせいか風が土埃を吹き飛ばしていくのでさほど気にならない。一瞬視界が曇るけど、すぐ元の、緑と青と白が鮮やかに輝く世界に戻る。僕らはそんな風景のなかで、自然と笑顔になる。

ウラルで走るローカルライダー

みんな同じ表情

 そこはイリンスキーという街のすぐそばだったんだけど、そこからチェホフまでの200kmほどは、ダートバイク乗りにとっては、文句なしで面白い道だった。

 雨が降ればツルツルになってしまう土の道は、今日のようなドライだとグリップ感がじつにいい。ABSもASC(トラクションコントロール)もオンにしたまま、ストレートで思いっきり加速し、コーナーでフルブレーキングする。その繰り返しがじつに楽しい。しかも、終わりが見えない道が海に沿って続いている。

 青森や、北海道の日本海側とよく似た風景だ。河岸段丘が海のすぐ近くまで迫り、崖となって海に落ち込んでいる。崖と丘のわずかな隙間にフラットで幅の広い道が、アップダウンしながら地平線の向こうに吸い込まれていく。

 下り坂では地面しか見えなくなり、上り坂になると空しか見えなくなる。でも、坂を登りきると再び地平線と水平線、それにわずかな集落が遙か彼方に見える光景が現れる。日本とよく似た地形なのだが、風景はまるで違う。標識も看板も少ないし、なにより道がダートだ。これが気持ちよくないわけがない! 

西海岸の河岸段丘

 道を走る車の数も、わずかだ。まるで世界から取り残されてしまったのかと感じるほど静かな世界の中を僕らは南へと走っていく。

 走るスピードはそれぞれみんな、てんでバラバラだが、立ち止まった時の笑顔は全員同じだ。いまのこの一瞬を、空気を、風を、目に入ってくる風景を全身で楽しんでいることは間違いない。

サハリンへ行った理由

 僕らがサハリン— もとは日本領で南樺太と呼ばれていた— というロシア極東の島を走ることになった理由は、GSというバイクのプロモーションにある。BMWの製造するGSシリーズのルーツであるR80G/Sのコンセプトはデュアルパーパスバイクだったが、現在では世界一周などのハードな旅に最適な「アドベンチャーバイク」というジャンルの代表的な存在となっている。

 現在では他社からもこのジャンルのモデルが多く登場して、人気となっている。そんな状況のなかで、GSならではの「アドベンチャー」な世界観を伝えたい……そんなコンセプトで、今回のツアーが実施されることになった。ツアーの名前は、CROSS THE BORDER— 国境を越えろ— だ。

 じつは、このCROSS THE BORDERという名前のツアーは、2007年にも実施されている。そのときはロシアのウラジオストックからモンゴルのウランバートルまで走るというもので、本誌ではおなじみのラリードライバー、三橋淳もライダーとして参加していたから、ご存知の方もいるだろう。

 今回はその2回目となるわけだが、そこに招かれたライダーは全部で5名。まず、今回の企画の立役者でもあるビッグタンクマガジン春木久史。第一回のCROSS THE BORDERにも参加しているフリーライターの松井勉。BMW MOTORRAD JAPANの社員になったばかりの大西洋介。そして、僕と、紅一点となったフリーライターの多聞恵美である。

 マシンは僕がF800GS ADVENTURE。春木がF800GS。松井がR1200GS、多聞がG650GS、そして大西がF700GS。G650GSセルタオがないが、現行のGSシリーズがほぼ揃ったと言っていいラインアップだ。

 この5人、5台に加え、サポートカーも用意された。サハリンに複数回訪れているJEC PROMOTIONSの中西悟、ロシア出身の伊山ヤニーナ、ロシアに強い旅行代理店ノマドの伊藤稔の3名だ。この合計8名にロシア人の現地ドライバーを加えた9人でサハリン南部を4日間走る。旅のスタートは札幌で、稚内までの行程を含め全部で6日間の弾丸トリップとなった。

行ってみて変わった考え

 サハリンツーリングの記事は本誌でも過去に春木が寄稿しているが、僕自身はサハリンに行きたいとさほど強く思っていたわけではない。何しろ遠いから「いつか行ければいいなあ」くらいに考えていた。稚内からフェリーに乗れば5時間半で行けるとはいえ、稚内が東京からは遥か彼方だ。東京からバイクでフェリーに乗っていったら、まず稚内に至るまでに出発から3日〜4日はかかるだろう。苫小牧に着くとして、そこから稚内まで走るのも相当の距離だからだ。さらに、ロシアという国の印象も必ずしもよくなかった。映画で描かれるロシアは軍の力が強い、暗い国ってイメージ。入国などに関する手続きも面倒臭そうだし、自由に走れるイメージがない。そんなこんなで、あまり興味がもてなかったのだ。

 ところが、新千歳空港まで飛行機で行き、札幌でバイクを受け取り、稚内まで1日で走るという今回のプランはサハリンは凄く遠いという僕の認識を激変させた。

 札幌から稚内まで1日で走るなんて、これまで想像もしなかった。確かに距離は500kmに満たないが、そのルートの左右はライダーにとって天国のような場所ばかりだ。どこにも立ち寄らずに一気に稚内に走るなんて、そんなもったいないことをしていいのだろうか?

 だが、サハリンに渡って旅を終えた今となっては、ああ、これは有りだな、そう思える。国境を越えて走る体験は、それくらい価値のあるものだったのだ。

ユジノサハリンスク北部の街のマーケット

驚くほどの近さ

 日本は島国だ。韓国に近い九州や、今回の稚内などを除けば、僕らにとって国境を越えるということは、飛行機に乗ることと同一である。飛行機に乗らない限り国境を越えて外国に行く道は普通、ない。つまり、国境というラインを認識することがまずない。

 海外はそうではない。海外で国境を越えた経験がそう多いわけではないが、アメリカとメキシコの国境に行くと感慨深いものがある。道をずうっと走って行くと、その先に別の文化と法律をもつ異国があるわけで、島国出身の僕にしてみれば単純に驚きなのだ。

 そして、今回稚内からフェリーに乗った僕は、アメリカからメキシコに渡ったときと同じような、でも異なる感慨をもった。日本と外国ってこんなに近かったのか。いや、違う。日本って、世界からこんなに近かったのか! という感慨だ。

 極東サハリンとは言え、そこはロシアだ。ユーラシア大陸という、僕ら日本人からしてみるとかなり遠い存在が、こんなに日本から近いところにあったのか!

 日射しを美しく反射する波。その向こうに見える稚内の港の向こうに、驚くほど高い利尻富士が見える。利尻富士は離れれば離れるほどその高さを増していくように見える。稚内から宗谷岬に繋がる牧草地に立つ風力発電機を数えているうちに、船は外洋に出た。稚内港が、日本がだいぶ小さくなって、見えなくなった。

 ところが、それから1時間もすると今度は左に陸影が水平線の上に現れ始めたのだ。それが、サハリンだった。

 宗谷岬からやや南に下った稚内港からサハリンのコルサコフまでは159km、5時間半の航海となるが、宗谷岬と樺太の最南端クリリオン岬とは43kmしか離れていないのだ。条件が良ければ宗谷岬から見えることがあるというのも当然の話なのだが、実際に船に乗ってその近さから感じたことは、「世界ってこんなに近かったのか」という驚きだった。

コルサコフ港

いかにもロシア、な風景

 札幌から稚内まで1日で走り、翌朝9時のフェリーでコルサコフへ。サハリンと日本では2時間の時差があるので、到着はサハリン時間で午後4時30分となった。到着後に入国手続きとバイクの通関手続きに1時間30分ほどかかった。まず、荷物をもって入国手続きを済ませ、それが済んだらクルマでフェリーに戻る。フェリー内で通関を済ませると、やっとバイクでサハリンの道を走れる状態になる。

 ツバの大きい帽子を被った検査官が、僕のもっているロシアのイメージ通り厳格な表情でニコリともせずに手続きをしていく。

 サハリンをバイクで走るには、事前にビザを申請し、バイクの通関用書類や国際ナンバー、現地での保険に加入するなどの必要がある。また、事前に宿泊先を指定した旅程なども提出しないとならない。なので、稚内まで来たからついでに明日からサハリンに行くか……というわけにはいかない。だが、結局手配を旅行代理店に依頼しないとならないので、結果的にこれらの手続きについて現地で僕らが頭を悩ませることは一切ない。

 全ての手続きを終えて港の外に出ると、そこは夕方のサハリンだった。オホーツク特有の靄がかかっていて、いかにもロシア! という陰鬱なグレーの風景だ。事務所の向かいの建物は、古いコンクリート造りでこれまた暗い雰囲気のイメージを醸し出している。道路には砂が浮いていてホコリっぽい。

 横断歩道で人が渡ろうとしていたら、必ず止まるように、という注意を受けて右側通行の道を走り出す。面白い。さっきまで日本にいたのに、それから数時間後の今、僕はもうヨーロッパの道を走っているのだ!

サハリンの田舎道
カニを売る露店

アットホームな宿

 到着した日の夜は最高、の一言だった。

 初日の夜は、オホーツコエという島東部の街にあるオリエンタリ・ロッジという宿に泊まった。外観は重厚なログハウスといった感じの一軒家だが、中に入ると真っ黒に光る床板の雰囲気がいい素敵な宿だった。ロシア政府の要人も使用する高級ロッジとのことだが、インテリアや部屋の調度は質素だ。

 貸し切りで使用されることが多いのか、部屋にカギはない。2Fには広い客室が5、6室あり、その中央にビリヤード台が置かれたプレイスペースがある。1階はキッチンと、暖炉を囲むリビング、そしてダイニングルーム。出迎えてくれたのは、2人の女性。1人は60歳前後だろうか母親のような印象の女性で、その娘らしき女性とともに食事を提供してくれた。まるで田舎の親戚の家を訪ねたようなアットホームな雰囲気の宿だった。

 食事はカニがメインだった。大柄なカニが生きていたときの姿そのままに茹でられ、ドーンと机に置かれる。僕たち日本人が客ということで米の飯も用意されていた。飲み物はビールとウオッカだ。

 食事をしていると、今回のガイドを務めてくれているノマドの伊藤が「バーニャに行きましょう」という。バーニャとは、つまりサウナだ。このロッジの別棟にサウナがあるとのこと。で、ロシアではサウナは男女混浴なのだそうだ。

 みんなで食事のあとに、そのサウナを見に行く。そのサウナはロッジの外観からすると随分立派で、広い。サウナ自体は7〜8人くらい入ればいっぱいの細長い部屋だが、その手前にシャワールームと休憩所が設置されているので、サウナの棟だけで日本の一軒家くらいの大きさがある。

 ロシア人はサウナが大好きで、夏でも真冬でも必ず入るという。サウナで蒸されて暑くなると気温零下の外に出て冷まし、また入る。それを繰り返すのが醍醐味だそうだ。

 見に行くだけのつもりだったが、結局全員サウナに入ることになった。サウナにはシーツのようなタオルと、熱よけの帽子が用意されていて、タオルを体に巻き付け、帽子をかぶってサウナに入る。全員その恰好で入ったのだが、その恰好がどうみても爆笑ものだ。みんなで「それはない」「ヘンだ」などと言いながらサウナを楽しむ。暑くなって外に出ると、心地よく爽やかな風が汗をさらっていく。これは楽しい! 休憩所にはビールと水が用意されていて、乾いたノドをそれで潤す。

 初日からサハリンの旅は大盛り上がりとなった。しかしこれは冒険ではないな。慰安旅行だ。そんなひねくれた感想を抱きながら、ロシア初日の夜は暮れていった。

宿にて

転んでも気にしない

 「雨が降ると大変」というのは、サハリンに渡る前から春木にさんざん聞かされていた。さもあろう、バハカリフォルニアにもよくある土の道は、濡れるとまるで鏡のよう滑るのだ。

 サハリンのダートロードも、ある程度交通量の多い生活道路は砂利が敷かれているが、それより細く、つまり楽しい道は表面が土のまま。水が流れて表面が削り落とされたラッツやウオッシュアウト、自然に柔らかい土の部分が削られて間隔の大きなフープスのようになった箇所などもある。

 ラッツやウオッシュアウトはともかくとして、表面が濡れた滑る路面というのは、今回乗っているGSのような重量級バイクにとってはかなりの鬼門だ。タイヤがブロックパターンのカルーに換えられているのでまだいいが、こうした場所では調子に乗るとフロントからスパーン、と持って行かれてしまう。

 オホーツコエからオホーツク海沿いに南下しペリカン岬を経てコルサコフへと至る2日目のルート。天候は曇りから晴れだったのだが、前日までに降った雨のせいで、ルートの前半はそうした滑る路面が続いた。

 基本、ドライだからスピードは乗る。しかし、小山を越えたあとに大きな水たまりが見えたときにはもう遅い。黒々とした滑る路面がいきなり現れる。アクセルを開けず、ブレーキもかけず、何もせずにバイクを直立させたまま通過するしかない。場合によっては通過する間、クラッチを切るのもアリだ。

 狭く曲がりくねったギャップだらけの道を、案外いいスピードで走っていた多聞だが、彼女がまずここでクルンと180度ターンする感じで転倒。滑る土の洗礼を味わった。

 彼女はオフロードバイク誌の仕事もしているし、自身XLR125Rも持っていてダートライディングの経験もそれなりにある。でもこうした長距離のダートライディングは初めてだ。だから、転倒するのも致し方ない。180度ターンして道路の外の草むらに突っ込む転倒だったが、彼女に怪我はなく、G650GSも無傷だ。

 彼女がダートライディングに向いているなと思ったのが、結構怖い転倒だったはずなのに笑顔でいること。そうそう、怪我でもしたならともかく、転倒程度で落ち込む必要なんてないもんね! 昨日と今朝は春木も砂浜で転んでいるし、僕も昨日北海道で砂浜に埋まっている。転んだり埋まったりするくらい難しいところを走るのもバイクの旅の醍醐味だし、それでこそ初めてアドベンチャーだと言えるんじゃないだろうか。

オホーツク海を望む

ロシアの人々

 ペリカン岬は濃霧に覆われていたが、そこで海水浴を楽しむロシア人の家族連れからカニをもらった(笑)。道は、日本の林道にもよく似た細くギャップの多い路面だ。

 ペリカン岬からは西に向かう。それまで濃厚だった霧が晴れてきて、どんどんと明るくなっていった。ノビコボという街の近くの汽水湖が見えるエリアまで来ると、気持ちのいい青空が広がる雄大な風景となった。青い空の下に緑の大地が広がり、その横に空の青を映した汽水湖が広がる。真っ白に見える砂利道の左右には、ポツポツと家があり、その庭では洗濯ものが気持ちよい風に吹かれている。

 サハリンで発見したのは、日本で言うところの限界集落的なイメージの村でも、幼児から少年、青年、そして老人まで、いい意味で老若男女がバランスよく住んでいることだ。日本では地方の集落に行くと、圧倒的に老人と猫ばかり……ということが少なくないが、サハリンの村は違う。

 聞いた話なので正確ではないかもだが、ロシアの住宅は原則として政府からの貸付なので、仕事はなくてもとりあえず住む家はある……ということが、こうした風景が生まれる理由らしい。現在、資源開発でサハリンはだいぶ景気がよいとのことで都市部に住む人も増えているが、それでも仕事がない人たちは実家で親と一緒に住み続けるので、こうした風景になるとのことだ。

 まるで廃墟のように見える、灰色の木製住宅群は日本統治時代のものだろうか。新しい家と、歴史を感じる古い家の建ち並ぶ街を走る道はどれもダートだ。その向こうから、上半身裸の少年たちがラーダだだろうか、相当に古い乗用車に乗って土煙を上げて走っていく。街の中央にあるマガズィン(乾物屋のような感じだ)でアイスクリームを買って食べていると、日本語の会社名が書かれた日本製のトラックが荷物を配達に来た。村の外れでは、スズキの50ccスクーターに乗った老人が話しかけてきた。一方、ピカピカのBMWなどの高級車も見かける。

 こうした田舎で出会うロシアの人たちは、みんなフレンドリーだ。だが、彼らはロシア語しか話さない。ロシア語が理解できない僕たちに、なにかを熱心に尋ねるのだが、僕らはまるでその質問が理解できない。お互いに苦笑いしたり、爆笑したりするわずかな時間を過ごしたあとに彼らは去って行く。

濃密な時間

 コルサコフ近辺の海岸は、北の地の短い夏を楽しむ家族連れ、若者で溢れていた。いったいこれほどの人口がどこにいるのだろうといったほどの数の乗用車が路上に駐められていて、その向こうの海岸で大勢が海を楽しんでいる。

 確かに、暑い。BMWのラリースーツを着込んだ僕らは安心と引き替えに低速では汗だくだ。でも、街を抜けて荒野に入り、スピードを上げると爽やかな風が汗を乾かしてくれる。サハリンへの入り口となったコルサコフの郊外を抜けて、今日はサハリンの州都であるユジノサハリンスクへと向かう。コルサコフからユジノサハリンスクまでは幅の広い舗装路だ。昨日サハリンに上陸したばかりなのに、なんだかもう数日間もこの地にいるような気がしている。懐かしさすら感じながら、コルサコフを抜けていく。それだけ濃密な時間が、この旅では流れていた。

ホテル

 ユジノサハリンスクは大都会だった。幅の広い道路にクルマが溢れ、交差点にはキオスク(売店)が立っている。背の高い美しい女性が新聞を片手に道路を渡っていく。

 僕らが宿泊したのは、ガガーリン公園の前に立つ近代的なホテル、ホテル・ガガーリン。ホテルの名前は1961年、ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成功させたユーリ・ガガーリンにちなんでいるのは間違いないそうだが、彼とサハリンの間に特に関係はないのだそうだ。

 ホテル・ガガーリンは日本の地方都市によくあるビジネスホテル風で、昨日のような趣はなかった。Wifiもあるが、フロントで1000円ほどのカードを買わないと部屋では使用できない。ここで初めてロシア・ルーブルを使用した。お金はフロントの横にあるATMで引き出すことができた。

 エジプトのカイロや、バハカリフォルニアのエンセナダに比べるとはるかに安全そうに見える街だが、決して油断は出来ないとガイドの伊藤はいった。とくに陽が暮れてからガガーリン公園のほうに行ってはならない、それどころかホテルの敷地外での単独行動もダメだと言う。

 それくらい危険なのか、あるいは伊藤がトラブルを嫌ってそう言ったのか真意は聞き忘れたが、どうやら油断できるほど安全というわけではないようだ。外務省のホームページでは、路上強盗やスリなどの事例が紹介されている。

 夜はスタッフ全員で、ホテル近くの中央アジア料理店に食事にいった。それ以外はホテルで時間を過ごした。ホテル内部は禁煙なので僕はフロントの前でタバコを吸っていたが、出入りしている人の多くは日本人、中国人、韓国人などのアジア人ばかりだった。

 フリーWifiが使えるのはホテル1Fのカラオケルームの前だけで、そこに行くと、ロシア人たちがなぜかドアを開けはしたままでカラオケを熱唱していた。

ユーラシア大陸

 サハリン3日目は、今回の旅において最長ルートとなった。コルサコフから舗装の国道でウズモーリエまで北上し、半島を横断して西側に出る。西側のイリンスキーからトマリ、チェホフ、ホルムスクを経て再びユジノサハリンスクに戻る……という約450kmのルートだ。前半と最後は舗装路だが、ルートの大半はダートだ。

 ダート区間は先に書いた通りまさに最高の体験だった。美しく人のいない原野の中をまさに自由自在に走れる。バイクに乗っていて一番楽しい、一番幸せと思えるのは、僕の場合、自分の望むペースで走れているときだ。3日目のこのルートでは、それが存分に堪能できたわけで、これが楽しくないわけがない。

 地平線の彼方に消えていく道を、スロットルでバイクの下にかきよせるような走りを数時間繰り返した後、砂浜に出てみようという話になった。その砂浜に行くと、沖合に難破船が座礁しているのが見えるそうだ。

 ダートロードから民家の脇を抜けて砂浜へと至るのだろう道へ入っていく。道はすぐに深いサンドになった。クルマも通っているらしく、ダブルトラックになっていて、ワダチの砂はとても深く重い。ハンドルがとられて、全然まともに進めない。

 僕の乗るF800GS ADVはフロント21インチだし、僕はこういうところを何度も走っているからまだいい。それでも、こうした場所なんてほとんど走ったことのないだろう多聞が、足をばたばたしながらもそれなりに進んでいくのは驚きだった。

 しばらく走ると、ガイドの乗る4駆のデリカが先で止まっていた。この先は厳しいと言う。まだ、砂浜も難破船も全然見えない。単に砂浜に行く途中、といった感じだ。これじゃなんのために汗をかいてここまで来たのかわからない。

 僕はせめて難破船の写真だけでも撮ろうと思い、バイクを置いて砂浜まで歩き始めた。砂浜も海も丘に遮られてまだ見えないけど、でもそこにあることは感じる。

 歩き始めたら、松井も一緒に歩き始めた。そのほかのライダーとスタッフはさっきのところで待っているようだ。断ったほうがいいかな?とも思ったが、みんなも一休みしたら追いかけてくるだろうと思っていた。砂浜は、結構遠かった。草の生えた砂丘を上り、下りて歩く。10分くらい歩いただろうか? ようやく美しい海の広がる無人の浜に出た。難破船なんて、なかった。

 ラリースーツのジャケットは脱いできていたけど、でもオフロードブーツにライディングパンツ、Tシャツで歩いてきたので汗だくだった。最初は足だけ浸すつもりで、Tシャツと下着だけになって海に入ってみた。横で松井が笑っていた。

 浜はじつにきめの細かな砂で、柔らかく、どこまでも遠浅で沖に向かっている。足を水に浸すとちょうどいい感じの温度で、ああ、これならみんな海に浸かっているのわかるなあ、と思った。

 波が何度か優しく足をさらううちに、下着が濡れてしまった。もういいや、と思ってTシャツも脱ぐ。そのまま波に飛び込んだ。うっひゃあ、最高、気持ちいい!

 松井も誘うと、嬉しそうに笑って服を脱いで飛び込んできた。2人でプカプカ、波間に漂いながら青い空と暮れかかる太陽を眺める。すると、今度は春木がG650GSに乗ってやってきた。全然帰ってこない僕らを迎えに来たのだろうが、「最高だぞおい!」と言うと、彼も服を脱いで僕たちの仲間に加わった。

 おっさんばかりで多聞もヤニーナもいないのが残念だったが、それでも最高に楽しかった。どこまでも平らなんじゃないかってくらい遠浅で柔らかい感触の砂浜。360度、僕たちしかいない風景。そして、ひんやりとして気持ちいい海。やっぱり旅は最高だ。やっぱり自然は最高だ。逆光でよく見えない水平線の向こうに、ユーラシア大陸がはっきりと見えた気がした。

旅を終えて

 旅を終えてみて、サハリンは、ロシアは、行く価値のあるところだと思った。今回は現地の人々と話す機会は皆無に近かったのが残念だが、それでも日本と世界がこれだけ近いという事実を体感できたことだけでも十分に素晴らしい。

 春木がビッグタンクマガジンに書いていたが、僕らがテレビの天気予報などで日本地図を見るとき、北の端は稚内で切れているのが普通だ。西に大陸があるのは描いてある場合もあるが、四方すべて海しか描かれていない地図も多い。だから、稚内のすぐ先にサハリンがあるということ……世界が繋がっていることに気づきにくいのだろう。

 また、ご存知の通り、日本とロシアは長く北方領土問題で揉めている。僕の中で、それもサハリンツーリングに余り興味が持てない理由だった。自分の行動が、国際問題になんらかの影響を与えることが嫌だったからだ。

 だが、今回のツーリングしてみることで、サハリンが北方領土問題に含まれているわけではないことを理解した。北方領土問題の舞台となっているのは、知床半島の東にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島なのだ。

 サハリン、南樺太は、第二次世界大戦終戦間際、日本に宣戦布告してきたソ連によって占領され、日本の領地ではなくなった。それまでの40年間は日本領であり40万人もの日本人が居住していたそうだ。日本とこの島の関わりは深く、記録では豊臣秀吉の時代から日本とロシアがかわるがわるこの島の領有、統治を行ってきたと言う。だが、1951年のサンフランシスコ条約以降、この地におけるすべての権利、権原および請求権を放棄している(外務省)。ただしロシアの領有権を認めているわけではなく、帰属未定地としている。だから、日本で発行されている地図を見るとサハリン南部(南樺太)は白くなっている。

 ただし、邦人保護などを目的にユジノサハリンスクに総領事館を置いていることから、ロシアがサハリンを統治していることに対し、日本が異議を唱えているわけではないことが理解できる。

 ああ。こうして書くと面倒くさい。現地にいってみればわかるが、この島と日本の関係は決して悪くはない。サハリンにとって日本は重要だし、密接な関係をもっていることが行けば肌で感じられるのだ。

 君子危うきに近づかずじゃないが、政治的な懸念からサハリンはちょっと……と思う人がいたらそれは誤解だ。むしろ、サハリンを訪れたことで、僕のなかでの近代史への理解が1つ深まったことはとてもよかったと思う。

 最終日は、ユジノサハリンスクからコルサコフへと走り、上陸した南から稚内へと向かった。マトリョーシカなど、ロシアらしい土産を買えたら良かったのだが、結局何も買えなかった。港の事務所の向かいに小さな売店があったが、そこで売っているのは特に土産物ってわけではないお菓子などだけだった。

 到着したときには恐ろしげに見えた軍艦や、寂しそうなコンクリート造りの住宅が今では懐かしく愛らしい風景に見える。モンゴロイドでない、コーカソイドの人たちが住む国がこんなに近くにあったとは。身近に感じるアジアの国々と変わらない距離、いや、もっと近いところにヨーロッパがあった。

 島がどんどん小さくなっていくのを眺めていると、まるでこの旅が夢であったかのように思えてきた。やがてサハリンは、濃い霧の向こうに消えてしまった。

 間宮林蔵も同じ景色を見たのかな、そんなことを思いながら僕は二等客室へと向かっていった。


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